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眼科の検査機器は、病気を想定して作られてきた歴史があり、外傷や、「サリン中毒の患者さんが教えてくれたこと」のところでとりあげたような薬物中毒といったものには、関心が薄いのです。
それゆえ、病気を対象にした通り一遍の検査をして、異常が出なければ「異常なし」となってしまいます。異常なしと言われても、症状の辛さは尋常ではないようで、どうして症状が出るのか、何とかならないのかと通院を繰り返し、あるいは病院を転々とします。
診察医師は、患者さんが事故の被害者の場合、保険などの面倒な書類を書くことが要求されます。このような時、多くの医師は、「詐病」を疑うようです。
たまにはそういう例もあるかも知れませんが、これほどの頻度で生じるとは私にはどうしても思えません。心因性(機能性)、つまり非器質的異常と判断されることもかなりあります。
繰り返しますが、病気を対象にして発達してきた現代の検査機器が、このような外傷に基づく異常の検出に適していないだけではないかと私は考えています。しかし、保険などの診断書では、他覚的(客観的)所見なしに「調節に関する中枢性神経回路障害が強く疑われる」と書いても、ほとんど却下となってしまいます。
笑止なのは却下理由のひとつに、しばしばMRIで正常だから、などと書いてあります。MRIで脳の機能異常まで映らないことは、書類を審査した医師だってわかり切っているはずです。

頭部頚部の外傷は眼科の問題だけではありませんので、最近、脳外科、神経内科などで注目されている、髄液減少症や、外傷性高次脳機能障害といった新しい概念との関連ももっと探ってゆくべきだと思っています。さてここで百歩譲って、患者さんの愁訴が多くの医師が言う「心因性」であるとしましょう。
仮にそうであるとしても、外傷を契機に生じたことですから、外傷性の異常に他ならないでしょう。そもそも「心因性」とは何ぞや。
これも追求せずに、短絡的に「異常なし」と即断するのは科学者として誤りだと考えます。しかし、そういう考えが世間でまかり通っているところが、こうした症例や問題を考える時、早々たる思いが募る理由なのです。
もちろん、頭頚部外傷後遺症は仮に保険が下りたところで、症状は改善しません。そこが、詐病とか心因性で簡単に片付けられない重いところです。
症状が辛い上に、社会からも軽視されたのでは、病状を受け入れたくてもそうはなりにくいでしょう。被害者に心からの手を差し伸べるのが、医療者や福祉の仕事ではないのでしょうか。
「まぶしさ」を専門用語で「蓋明」といいます。本来は弱い光を強く感吟し避けようとすることから、文字通り明るさに対している様子です。
しかし、人が実際に「舷しい」と訴える場合、かなりいろいろな自覚的感覚が含まれていて、必ずしも独立した特異な感覚かどうか不確かです。たとえば本来の舷しさはそこに舷しさの対象となる光が存在する必要がありますが、必ずしも明るい対象物がない、あるいは暗いのにまぶしい、と感ずることさえあるからです。
舷しいという感覚は、角膜や結膜の異常でも、白内障でも、網膜や視神経の異常でも出現しうるものです。特に角膜にひどい傷が生ずるような状態では、痛いほどに舷しく、眼をつぶりたくなるものです。

黄斑部という網膜の中で最も感度の良い場所は、加齢黄斑変性、近視性黄斑変性、黄斑円孔、黄斑上膜や、さまざまな病気に併発する黄斑浮腫など、実に多くの病気が発生しやすいところです。例えば、片眼だけの黄斑部にそうした病変が生じ、もう片ほうの眼は全く異常がなかったとします。
こうした時、病変のあるほうでは、歪んで見えたり、見え方の感度が明らかに落ちたりします。視力検査では低下がないか、僅かな低下の場合でも、見え方の質の低下ははっきりと起こります。
脳は左右眼からの視覚情報をひとつに足し合わせて、立体感覚や距離の感覚を把握しているわけですが、片方だけがきれいな信号で、もう片方からの信号の質が明らかに悪いと、うまく足し算ができなくなります。言い換えると、病変のあるほうの眼からの信号はノイズが含まれるのです。
このような状態を私は、耳鳴りならぬ「目鳴り」と表現しています。目鳴りのボリュームが小さければ慣れるかもしれませんが、大きすぎると、もはや両眼からの視覚信号を受ける脳での統合がうまくできなくなってしまいます。
つまり、脳は混乱を起こし、目鳴りしているほうの信号を排除したくて「舷しい」と反応します。そういう場合の人間の行動としては、目鳴りするほうの眼を閉じようとするわけです。
似たようなことは、後天的に脳の病気や、外傷や、病的近視が進んだ時にも起こります。両眼をつぶりたくなるほどの激しい蓋明は、眼球の異常ではまず起こりません。
例えば、脳の基底のほうにある視床という場所が過度に興奮するような中枢性病変で起こるとされますが、まだ完全には解明されていません。このような中枢性の蓋明は眼膝けいれんにおいて眼科医はよく経験しますが、ほかにもうつ病、パニック障害、癌痛性障害などの精神神経学的疾患でも時々見られるものです。
光視症は、そこに存在しない光がさまざまな形で見える症状の総称です。患者さんにとっては気持ちの悪い現象ですから、眼科外来の不定愁訴の中で比較的高頻度なのも納得です。
片眼に起こっている場合は、硝子体が収縮することで網膜細胞に自生放電が生ずるためと考えられています。このような収縮は強度近視、加齢などが原因で起こりますが、網膜に裂孔やはく離が生じた時や、ぶどう膜炎でも起こり、飛蚊症に同時に見られることもあります。

確かめても、どちらの眼で生じているかわからない光視症は両眼同時に生じていることを意味します。これは、脳の視覚中枢の神経細胞の勝手な発火とされています。
偏頭痛の前兆として時に光が見える場合がありますが(これを閃輝暗点と言います)、これも光視症の仲間といえるでしょう。幻視というのも、そこには存在しない具体的なものが見えてしまう現象です。
それが確かに存在すると信じているような場合は、精神病が疑われます。しかし、ほとんどの例はそれが「幻」であると認識しているものです。
特に両眼の視力が著しく低下している人では、そのような現象をよく体験します。これはシャルル・ポネ症候群といって5世紀から知られていて、精神病ではありません。
しかし、これも眼科の教科書に記載されていないせいか、一般眼科医で知っている人は意外と少ないようです。ちなみに、レビー小体型認知症というものがあります。
ありありとした鮮烈な幻視が出ています。二重に見えるという現象もよく訴えがあります。

片眼で二重に見えるのは、ピント(焦点)が狂っているためです。二重といっても、ひとつの物が離れて見えているのではなく、互いに重なり合っています。
これは専門用語では「単眼複視」と言って、真の複視と区別します。単眼複視はメガネ、コンタクトレンズなどで適切に矯正できれば、消失するのが特徴とされます。

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